3月自作/「ひな祭り『おひなさまと魔法の文字』」
「あんたの母さんは、早うに結婚させられてな。心に想っとった人もおったろうに」
母は、嵯峨野の良家の長女で、学者だった父とは何度目かのお見合いで知り合い、結婚したのだと、
何かの折に叔母から聞いた。
「そういう時代やってな。16歳とかは普通やったわ。私は行き遅れたけどな」
そういう叔母も 24歳で結婚している。
早婚が原因なのか、私が子供のころ、母はいつも超然とした、悪く言えば世間に無関心な、なにかを
諦めたような人だった。
数学者だった年の離れた夫である私の父は父で、興味ある数式ほどには家族に関心がなかった。
だが母は私をよく叱った。食事の時に話をするとはしたないと叱られ、寝る前に本を読んでとせがんでも
早く寝なさいと叱られ、幼稚園でのお遊戯の話をするとしっかりお勉強しなさいと叱られた。
今思うと、厳しいというのではなく、私を叱ることで家族という繋がりを保とうといていたのかもしれない。
でも子供の私にそんなことが理解できるはずもなく、話しかけると怒られているような気がして、だから
一人娘の私は、家ではいつもぽーっとして空想に浸って遊んでいた。
そんなある日、祖母が実家から大きな荷物と一緒にやってきた。
桐の箱に入ったそれは、祖母の時代からある雛人形だった。
それほど広くなかった家の中に、6歳だった私の貴重な遊び場の和室に大きな雛段のスチール枠が
組み立てられて、緋毛氈の敷かれたその様は、小さな私を圧迫しているようで嫌だった。
なにか古めかしい、ちょっと鼻につく臭いが部屋に籠もって、そんな中で遊ぶのも嫌だった。
なによりお雛様のお顔が怖かった。下から見上げると、白く、無表情で、細く切れ長の目が、怒った時の
母に似て怖かった。そんなお雛様が一番上からいつも私が悪さをしないか見張られているようで、嫌だった。
唯一私がお友達になれたのは、五人囃子の笛の子。多分目を瞑っていたからだと思うけど、彼だけ怖くなかった。
だから私は彼とお喋りをして、他の人形のことを知った。雛様は官女の左の子が嫌いで、実は右大臣が好き
なんだとか、大鼓と小鼓の子はいじわるな兄弟だとか、牛は本当はネズミで、妖精に魔法をかけられて牛車を引っ
張ってるんだとか、笛の子が私に教えてくれるのだ。
ある日、笛の子が
「あいつら喧嘩してんだって。今日は一段とそっぽ向いてるし」
って話しかけてきて、見てみるとホントにお内裏様とお雛様の首が左右にそっぽを向いていた。
「ホントは仲いいんだけどな。雛がまだ子供だからすぐには仲直り出来ないんだ」
あなたも子供じゃない。私は笛の子につっこみかけたけど、気を取り直してもう一度上の段を見た。
たしかに二人とも外を向いている。お雛様なんていつも怖い顔なのに今日はちょっと悲しそうだ。
意を決して私は雛段を登っていく。
そろりそろり。4段目まで来た。もう手が届く。
男雛の方から顔の位置を直す。ゆっくりゆっくり。出来た。
次はお雛様、あなたです。
大丈夫。私が来たから大丈夫。雛の体をおさえて頭に手をかけた時…
ズルッ
4段目の緋毛氈がズレた。私はバランスを崩して…ガシャギャシャガラガラガラ〜
首の抜けたお雛様が床に転がる。コロコロコロ…
頭の方は廊下にまで飛んで、音を聞いて飛んできた母のつま先に当たった。
呆れと、怒りと、心配とが入り混じった、当時の母にしてはちょっと珍しい顔をして、私を見、怪我がないのを
確かめて、足元に転がったお雛様の首を拾った。
その時の母の顔を、私は一生忘れない。
本当に人形のようだった何事も無関心な母の目が、まるで命が吹き込まれていくように潤み、涙があふれ、
ペタンと床に座り込み、子供のようにウェッ、ウェッ、と泣き始めた。
最初、私が雛段を崩した事が悲しくて母は泣いているのかと思って、私も一緒になってウェッ、ウェッと泣いた。
そんな私を母は優しく抱きよせ「ゴメンね、花桜ちゃんゴメンね」と泣きながら何度も何度も謝っていた。
私は何の事かわからないけど、母に初めて優しくされた事に興奮して一緒になって泣き続けた。
しばらくそうしていると、母がお雛様の首芯(体に挿す部分)を見つめているのがわかった。
そこには墨で何か文字が書かれていた。私には何が書いてあるのかはわからなかったけど、その文字を見て
母の顔が優しくなったのはわかった。
あたりが薄暗くなるまで、母に抱きしめられていた。そして
「さ、パパが帰ってくるまでに片づけちゃおう」
とにこやかに言って、雛人形を祖母が持ってきたとおりにふたりで桐の箱に片付けた。
それからの母は魔法がかかった、いや魔法がとけたようによく笑い、よく話す人になった。
あれから20年。
私も当時の母の年齢になった。
隣には3歳の娘。いろいろあって今はシングルマザー。
そして目の前には、あの桐の箱がある。
著作 ディー
2011.2.24